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2011年 05月 13日
2011年5月4日、宮城県岩沼市にはじめて来た。被災地である。
目的は、瓦礫や泥の撤去のお手伝いに参加する事と、美術家として被災地をみる事、仮設住宅や避難所に鉢植えの植物をプレゼントさせてほしい。この事から、被災地に来た。 まず、泥かきと漂流物の撤去を行った。津波は塩水であり、水と共に泥も流れて来たのである。総ての地表を泥が覆い、地下に塩水が染み渡る。農作物は到底すぐには育てられない状況。被災農家の方は、約3年はお米を作れないと話す。実際農家の庭先の畑などの泥をかきだしたが、本当にわずかである。途方もなく泥は地表を覆う。農家の方々のやるせない表情。しかし生きていくための現実。先に少しずつ進む思い。 仮設住宅に、しあわせの黄色い鉢を7鉢プレゼント。 岩沼の避難所のボランティアをされている、小林さんのはからいで受け取っていただけた。小林さんの奥さんは仮設住宅の村長であり、村長の小林さんが鉢を配ってくれた。もちろん、お二人も被災者であるが、明るく皆のために尽くす姿勢は心を打つ。 しあわせの黄色い鉢は、村山が東京の墨田区で2008年に行った地域アートプロジェクトで使用したものである。捨てられている鉢に、児童館の子供達が黄色く塗り、地元花屋から無償提供された花を植え、街中に点在させ軒先にて育ててもらう。黄色い鉢はラッキーアイテムとして、見た方は何かしあわせな気持ちになる。黄色は活力のある色であたたかくしあわせの象徴的な色である。 この、しあわせの黄色い鉢は村山が考えた概念であり、既成品ではこのしあわせの黄色い鉢にはなりません。捨てられる鉢に、手で黄色く塗るこのあたたかさがしあわせを生むのである。 村長こと小林さん ささやかなしあわせから 倒れた桜が花を咲かせる:岩沼 被災地の岩沼から松島、石巻、女川、気仙沼、陸前高田まで海岸線の総てを見た。 戦争を知らない世代の私たちが、はじめて経験させられた、自然の猛威。目に見える形で、災害の深刻さは想像を超えた。北関東から東北にかけて、海岸エリアにてつつましく生活を営んでいた人たちを、なぜ自然は痛めつけたのだろう。いかりの前にむなしく、自然と共にいたわれわれ日本人に、自然はここまでの教訓をなぜ与えたのか。いましばらく考える時間が必要である。 岩沼から〜 石巻 女川 女川から 陸前高田 緑 芽生え 最後に、被災地を見て感じたのは、この災害を乗り越えるちからが日本人にはあると確信したことである。うしろを見れば豊かな山があり、まえを見れば豊かな海がある。日本人は自然が好きで、自然と共に人はあることを知っているから。大丈夫。
by plantart
| 2011-05-13 14:07
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