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2022年 08月 07日
絵画の子[Homage to Mr.Masato Kobayashi]絵画技法演習Ⅱ班・展示を、2022年7月26日から28日まで秋田公立美術大学の校内で行った。
15名の学生が、自身の自由なテーマで好きな画材とサイズにより絵画を描いた。展示場所も各自が絵画にとってふさわしいところを学内で探し設置することにした。 絵画技法演習の授業は、昨年はじめて行い今年も続けて行っているが、絵画技法と言っても皆同じ技法を学ぶことではないし、美術館の鑑賞も同じ絵を見たとしても、リアルな出会いは各学ぶものは異なるし見えるものも違う。同じ空間で各自がそれぞれの表現で制作すれば、それが自然と技法の取得になる。が基本の考え方である。 しいて言えばできるだけ大きなものや新たな表現にチャレンジすること。大きければ良いとか小さいとだめであると言うわけではないが、コロナ禍で手に届く範囲だけでものごとを済ましがちで、飛び越えて何かに触れてみること、見てみること、やってみること、一歩踏み出して規制のない中で表現してみることを大切にしたいと。画一的に同じサイズで、絵の具の使い方であるドロッピング、タッシュ、モデリングなどの技法は美術大学で教えて何の意味があるのか。個が主体的にリアルな「絵画の技法」を考えたり、深掘りする中でこそ学びを得て行くことを目的とした。 展示することも、描いた画が一つの素材として、各自がどの空間に配置するかの思考は自身の画の物質と表現に向き合う瞬間であることから、白い壁に絵画をありきたりに迷いもなく展示することのないようにした。白い壁や空間に絵を展示することを当たり前と思うべからず。 展示タイトルは、「絵画の子」です。画家の小林正人さんの作品タイトルから引用しています。(ご本人からも快諾いただいています。/自伝小説「この星の絵の具」上巻は「絵画の子」の話がメインです。)様々な意味合いがありますが、絵画の授業で描いた各絵は独自で個であり、その子でもあると。教えられて生まれたものでない子、自然なもの、型にはめたものでないものとして、「絵画の子」がぴったりと考えました。 小林正人さんは、日本を代表する画家であり、絵の概念を超えて新たな手法、枠組みへの試みを続け、その作品性や内容も世界を見渡しても別格のアーティストである。個人的には、藝大大学院時代にお世話になりました先生でもあります。 それでは、授業の活動を見て行きたい。 絵画のレクチャーでは、小林先生、OJUN先生や佐々木耕成さん(故)、日比野克彦さん、中西夏之さん、大竹伸朗さんなどの作品や活動紹介をしつつ、日比野克彦さんの制作風景、小林先生のインタビュー動画なども鑑賞した。どうしても絵画と言う枠に囚われている美大生が多いため、表現の展開の可能性や技法などの多様性に関して話しをした。 大学図書館の絵画技法に自身が参考になりそうな画集を探す機会も作った。 次に、千秋美術館と赤れんが郷土記念館などで作品や資料、建物などを鑑賞と見学をする機会を設けた。街中をフィールドワークしつつ生で作品や本物を体感として画の物質、素材の理解、表現の追体験をするように見てみることにした。終ってから簡単ではあるが、鑑賞感想を数名で話し合った。 5月連休前後に自宅などで制作したドローイングを5枚かな、持って来ていただき、野外での作品見せてね会を一人ひとり行った。外で作品を見るのは実に気持ちいいのです。昨年はじめてやってみて良かったので今年も継続。自宅等で描いて来たものは皆ばらばらな思考と素材感なので上手い下手とか言うつまらない言葉でなくどれも魅力を感じた。 さて、あとは本画に向けて試行制作期間になり制作をどんどん進めて行く人もいれば、なかなか進まない人もいる。この違いも大事で違う時間軸で考え、制作も当然各自が進めるのである。そこを皆同じ時間軸で同じ手順でやらす授業ではこちらも見ていてつまらないし、ほぼ意味がない。 中間講評会としつつ、私からはほぼ何も言わない。学生同士で作品について話してもらった。と言ってもいつでも絵画や作品の話しを聞きにきてOKで対応している。でもあまり聞きに来ないけど。 最後に制作追い込みから、展示発表。 まずは、一人5枚のドローイング展示の作品。
様々な展示場所での絵画は、面白かった。 作品の重さや質に関して考える機会になっているものが多かったと思う。絵画技法の中にこの展示する場所の思考から表現の技術も相応して体感的に考え学んでいると考えている。展示場所を、奇麗な白い空間を素敵と考えている学生は、そんなところを簡単に超えて、独自で好きな場所で絵画でも何でも枠に囚われない表現展示にチャレンジして欲しい。 さて、絵を介して何かに出会って表現がつむぎ出され生まれた作品もあった。自身から動いてチャレンジしたのであればそれは血となり肉となり身つき次につながるはず。 #
by plantart
| 2022-08-07 14:44
| 活動報告
2022年 03月 09日
農園芸学部(のうえんげいがくぶ)
2020年の春から、秋田公立美術大学の敷地内の空き地に、畑、農園をはじめることにした。活動名は、農園芸学部。農業、園芸、芸術、部活の文字を取っている。農園芸学、そして部と言う感じ。2018年に秋田在住になってから、地方の自然豊かな地域に来たので、必然と植物のそれも野菜や果樹を育てる機会があるのかなと想定はしていた。 そもそも、植物を育てることは、1999年頃東京の墨田区のビル3階に住んでいた時に、葉から目や草類、イチゴなどベランダで育てていてこれも必然なのでしょう。窓を開けても見えるのは無機的なトタンの屋根と街並みで、木々が見えるわけでもなく、またクリーニングの洗剤の匂いもたまにする環境もあったので。その後、神奈川に移り住んでも植わっていた柿やビワ、梅の収穫や、関東タンポポなども育ててみたり、2015年からは京都で関西タンポポやレモンなども育てていました。 そこで、2002年に秋田の風土に導かれるように、秋田の農家さんたそがれファームの菊池さんから種をいただいたり、森のテラスさんからは土や堆肥業者さんを紹介いただいたり、秋田県立大学の櫻井先生、神田先生からは苗を分けていただき、農園での活動をスタートしました。 それと、東京ビエンナーレ2020/2021に参加することが決まって準備活動を開始した2019年に、自身のプログラムの中の一つ都市で植物を育て交流するもので、野菜やハーブなどを育てる内容もあり、農園で育成に取り組んで試行することが必要でもあった。タイミング的に農園での活動は必然かなと。それと、コロナ禍の中で学生を外に出して活動することも、何か今こそやるぞと言うマインドにもなっていた。 この植物は、あかにんじん。それの花である。人参の花は見たことも気にしたこともなく、驚きでしたね。ここまで大きくなり花を沢山咲かせ、種もかなり多く採れます。秋口に人参をすべて収穫しないで残しておき、冬を越して種を採取した。 農園での活動は、学生に参加者希望として呼びかけてメンバーがいますが、さほど多くない、ゆるやかーにやっている。サークルではなく、どちらかと言うとゼミ? メンバーとの活動と言う感じ。 農園をはじめてみて多くの発見や気づきなどあるので、本当なら全学生に見て関わって欲しいのですが、そうも行かず。そう、東北秋田の大学に地方から来て、意外に秋田の風土に触れる意識、自然を感じる経験などを求めていない学生が多いのである。 農園は、すごい情報量ではじめて見て感じること満載で、かなりクリエイティブな環境。美大の教材としては最高。ただ、自然は厳しいのと正直で上手くいかないことが多い。芽が出ない、虫に喰われたり、病気になったり、風で倒れたり、日が強くて枯れかかってなどなど。無農薬で有機を目指している面があるので、ほぼ自然状態をつくっているため、ある種鍛えながら育つような感じ。収穫量はまだまだ。農園が小さいのもあるけど、多くの人にシェア出来るまでにはなっていない。難しい。 さて、冬があけて雪もだいぶなくなりそろそろ土面が見えて来た。休んでいた生き物達も動きだしたかな。 #
by plantart
| 2022-03-09 20:44
| 活動報告
2021年 08月 23日
鳥の巣画廊 あそび×まなびのひろばvol.3が、秋田県秋田市の大森山で8月29日まで開催しています。 さて、「鳥の巣画廊」と言いましても何がなんだかわからないと思いますので、順をたどり説明をいたします。久しぶりに長い文面になっております。 このあそび×まなびのひろばは、大森山アートプロジェクトの一企画として秋田公立美術大学と大森山動物園の両主催の連携事業として行われています。村山がアーツセンターあきたの依頼を受けて、美大の授業の中に組み込む形でプロジェクトを考え監修してきたのが、あそび×まなびのひろばのシリーズです。今年で3回目になり、一年目は杉迷路、二年目は森の居場所と、学外を出て自然環境、地域を介した活動の機会を創出しています。そして、今年は鳥の巣画廊と言うわけです。 単純には、鳥の巣箱を各学生が自由につくり、その中の空間をギャラリー、画廊、美術館として個展を開くことです。それを、大森山の中に設置し、プロジェクト開催期間に巣箱の扉を開けて観覧していただき、開催期間後には高い位置に設置し直して1年間展示と鳥の巣箱としておかれます。来年春に住処として入る鳥がいるかどうかの実験でもあります。巣箱が時間と共に変容する様も作品化している面もあることで、森の中でクモの巣や虫が住み着いたり、カビ、苔なども生える可能性もあります。それもふくめてどう自然とつながり新たなものを生み出されるのから楽しみであります。 鳥の巣画廊について:いくつかが複合したことで生まれました。一つ目は、アーティストで東京芸大教授の小沢剛先生の「なすび画廊」のオマージュ的な側面があります。銀座のなびす画廊の外の街路樹辺りに、牛乳瓶を入れる木箱(昔はよく家に朝牛乳やヨーグルトなどを配達していただき、それを入れるための木箱)を展示会場にして様々なアーティストの展示企画したものです。アート界では知らない人はいない有名な企画で、展示するという概念を問うようなとてもアート界としても貴重なもので、私も若い時でしたのでとても感化されました。いつか自身も制作を続けてなすび画廊で展示したいなーと憧れていました。また、私の若い時にスモールワールドが制作の根本のテーマでもあり、小さな微細な世界がすべてのマクロな世界をつくる。そんな考え方に、なすび画廊の世界最小の画廊を、今の若い学生にも伝えたいものとして必然と私の中で蘇りました。そして、美術の世界では多くのアーティストが小さな世界、小箱を作品にしていました。ジョゼフ・コーネルは有名ですし、フルクサスのアーティストボックス、クルト・シュビッタース の寄せ集めのコラージュの箱のようなレリーフや、盆栽も一つの小世界から宇宙をつくるものですし、別の視点では、りかちゃん人形のお家のボックスもある種の小世界から大きな世界を創造する面もあります。大きなものに出会った驚きより何か小さなものに驚かされると本物のような感覚があるのは今でも変わらないものです。この中でも、小沢先生のなすび画廊は一線を画す歴史に残るものです。 二つ目は、農民彫刻家の皆川嘉左エ門さんの「減反画廊」です。こちらは、秋田県横手十文字の田んぼの中に、野外彫刻を展示したもので、国の減反政策により空いてしまった農地を有効利用と皮肉を込めた発信であったように思います。嘉左エ門さんは、我流で木彫をはじめ素朴で荒々しい表現により小手先でないパワーとあたたかい作品でとても素敵なのです。この減反画廊にも両手を天に掲げた木彫が田んぼの中に立っています。この光景を見ると、展示の概念と在り方に対しての投げかけのようにも感じ、貴重な場所であり現代の先端と根源を含んだ複合的な芸術であり、地域の芸術を介したプロジェクトの先駆けと言って過言ではないものです。こちらは、現在も減反画廊は自由に見ることができます。雨の日も風の日もですね。 そして、三つ目は、新型コロナウイルス感染症により、2020年初頭に身動きが制限されたことで、家にいる時間が多くなったことに起因します。室内にいると、窓の風景が気になり出し、外の音にも敏感になり、ふっと気づくと鳥の鳴き声がよく耳に残り、窓から鳥を見る回数が多くなっていきました。鳥はこんな身近に来ていたのだと、この気づきと、意外にいろいろな鳥が来ていると。この驚きと、鳥は飛んで何処へでも行けて、海外や県外も自由に移動できることが、何か本来の動物のあり方を突きつけられたように感じました。そしてほどなくして、鳥を見たい知りたい共有したいの思いで鳥の巣箱をつくりました。海岸の流木を集めて来て一つ目、二つ目は海岸のプラゴミを形成させてつくり、自宅に設置しました。残念ながら出入りはしてくれるものの、住処にはしてくれませんでした。巣箱の作り方を調べると穴の大きさで鳥が入るサイズも決まるようで、適当な大きさや形では入る確率は確かに減るようです。そして2021年に、大学の廃材の木々で三つ目と四つ目をつくり、その一つにシジュウカラが2羽入りました。その後どうなったか怖くて巣箱を開けていません。この鳥の気づきと鳥の巣箱をつくるきっかけは、コロナ禍でなければ何も関心のないものでしたので、これも必然と理解しています。小さな空間、限られた場所などに居ることの制限と、狭い場所に人と共に居られない状況が様々な異なる世界、または今まで見られてなかった世界を見ることになったのだと感じています。 そうですね、この三つ目のきっかけから、一つ目と二つ目が複合して、鳥の巣に展示する企画を想像し、作品とそこに鳥や他の動植物が介在する新たなあり方の展示場、画廊としたら面白いのではないかと考えました。 実は、なすび画廊の小沢剛先生は、予備校時代の先輩で年代が少しずれて面識はなかったのですが、こちら側はよく知る方で、アーティストとしてもメジャーになり芸大の教員にまでなる方が先輩であるのは嬉しい限りでした。そして、私が芸大の助手の時にたまたま小沢先生とつながり知り合いになれたのも縁だと勝手に考えていました。今回の企画も、まず小沢先生に連絡して「プロジェクト成功しますようにと」と声をかけていただきました。(小沢先生へ、その他ご無理なお願いをしてすみませんでした。) 減反画廊の皆川嘉左エ門さんも、実は現在の大学教員の同僚のお父様なのです。親子共彫刻の道を進まれ、大学の皆川先生は同じ芸大出ですし、何らかの縁があるのですね。 鳥の巣画廊をいくつか紹介: さて、プロジェクトは、まず現地のフィールドワーク、リサーチですね。森から何かを感じることで、どう制作に向かうのか。2回くらい行いました。 何とものどかで、鳥の巣箱をのぞきながらゆるーく回遊して、あそんで散策歩くのが丁度いい感じです。 展示期間終了後は、高い位置に巣箱を上げて、1年弱鳥と自然の動植物のための展示と住処となります。 #
by plantart
| 2021-08-23 22:48
| 活動報告
2021年 08月 11日
[展示風景] 本年急遽受け持った「絵画技法演習Ⅱ班」の授業成果展を行いました。 タイトルは、絵と目[Homage to Mr. O JUN] 画家のOJUNさんが東京ビエンナーレ2020/2021の出品作品タイトルの「絵と目」は同じです。 2021年7月のビエンナーレ開幕後、OJUNさんの展示を見て、そこにテキストとタイトルに出会いすごく素敵で印象深く、自身にも当てはまることであり、特に若い学生には何らかを感じてもらえる言葉でしたので、今回の成果展にぴったりと考え、OJUNさんからそのまま使ってくださいとのお言葉をいただき、オマージュも含めこのタイトルといたしました。このタイトルをつけられてとても私も嬉しくなりました。 展示に合わせて授業内容のテキストも書きました。 「絵画技法と言っても皆同じ技法を学ぶことではない。美術館の鑑賞も同じものを見たとしても、リアルな出会いは各学ぶものは異なるし見えるものも異なる。同じ空間で各自がそれぞれの表現で制作すれば、それが技法の学びになる。 今回の制作された絵は、各自のテーマで独自の手法でそれぞれが取り組んだ画である。 しいて言えばできるだけ大きなものにチャレンジすること。大きければ良いとか小さいとだめであると言うわけではないが、コロナ禍で手に届く範囲だけでものごとを済ましがちで、飛び越えて何かに触れてみること、見てみること、やってみることに一歩踏み出せていない。動いていない出会っていないとも言える。 さて、今回の絵の中では何かに出会って表現がつむぎ出されて生まれ見えてきている。その次につながる一歩、それは確かにある。」 教職系の絵画技法の授業が、本年はいろいろな事情で履修者が多く、急遽授業をすることになり、自身が単独で計画し、シラバスとは全く違う内容でしたが、学生に了承を得て行いました。フィールドワーク、2つの美術館の鑑賞、フィールドドローイング、絵画に関する講義、そして制作、展示。この中で各自が絵画技法を感じ学ぶような内容になっていたかと思います。絵画手法を手取り足取り教えることは一切しない内容で、しいていえば描きたい絵を好きな大きさで描いてほしい。教室は汚しても良いから積極的に場を使ってほしい。これに反応出来た人、それなりに出来た人、いまいちわからなかった人いましたが、同じ空間で皆違う手法で制作をする時点で、技法の学びは得られていることになったと思います。
さて、OJUNさんの展示のテキストです。 『ひとつのイメージを、いろいろな場所、いろいろな大きさ、いろいろなメディウムで見たあとで、“私はいったい何を見たのか”を自問するチャンスを実行していきます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」や「菫程な小さき人に生まれたし-漱石」など。大きいからよく見えるわけでも、あるいは小さいから見過ごすものとは限らない。ぼくらは、何時も何処かで何かと出遭うことを心せよ。』(O JUN) OJUNさんは、日本を代表する画家でありますが、同時に日本人が描いたと思えない超えた絵です。昨年度まで東京藝大油画の教授をされていまして、私も実はつい最近の2014年修了まで数年間お世話になりました。私が在学中に絵画分類で影響を受けた2人のペインターの一人がOJUNさんです。もう一人は、小林正人さんです。どちらも私からしたら先生ですし、敬愛するアーティストです。
今回の授業は、短い時間での取り組みでしたが、多くはチャレンジをした痕跡が作品から見て取れました。やはり、一歩自分から踏み出さないとはじまらないのでいい機会になったと信じたいです。 [フィールドドローイングブック] [制作風景] ちなみに、秋田公立美大は、1学年100名前後で、入学と同時に専攻に分かれていないため、絵画を描いて行きたいと言う学生さんがはじめから何人もいるかと言うとそうではないのです。また、絵画科などの専攻もないのもあるが、卒業制作などを見ると絵画にて表現をする学生がかなり少ないのが特徴でもあります。 絵画の素晴らしいものに出会いたい今日この頃。 #
by plantart
| 2021-08-11 01:22
| 活動報告
2019年 12月 02日
2019年11月にオーストラリアの森林火災のニュースが流れた。場所は、ニューサウスウェールズ州である。ここは、1年前に、レジデンスで1ヶ月半訪れたところ。オーストラリアのこの時期は、春から夏になる間際で、昨年は猛暑日もかなりあった。乾燥する気候により、森林火災は日常的と現地で聞いたが、今回の火は深刻のようだ。地球環境の変化によるところもあるのだと考える。人にとって、動物にとっての火は恐ろしいものでしかない。相手には出来ないもの、操作出来ない絶対的なものである。2018年の11月にニューサウスウェールズ州のウォレマイ国立公園で見た森には、ユーカリの木がほとんど植わっていた。そして、火災後に木の表面に残った炭が数多くあった。これは、表面の樹皮を焼かすことで、生き残るための進化の形のようだ。 生きるための工夫は、どの世界でも進化を続けている。そんな黒い炭が目立つ森から、得体の知れない生命力を感じた。今まで色彩の黒に対して良いイメージを持っていなかったが、ユーカリの木の焼けた樹皮の炭を見ると、黒がとても深く美しい色彩と感じた。 同時に、岩の多い森であり、ユーカリの木と岩が共存している。岩は、粒子が粗いゴツゴツとしたもので、水の吸収性が高いようだ。乾燥地帯なので雨がなかなか降らない環境の中、雨が降った時に岩の内部まで浸透するように水を維持している。そのため、木々は岩に吸い付く様に一体化したものが多く見かける。これも生きるために切実に進化した形である。その光景は最善の環境として美しく感じる。 確かに、森の中を歩いていくと、川の跡のようなものがいくつか見つかり、これは当初なんだろうと見ていた。そして、久しぶりに雨が降った跡に森を歩くと、昨日まで無かった川が現れるのである。森が喜んでいるようにみずみずしく、水の音色が心地よく、生きているとささやいているようである。 初めて来たオーストラリアの地、そしてウォレマイ国立公園の手つかず森に、本来の生命の在り方を見たように感じた。 さて、オーストラリアに来たのは、滞在制作や研究と地域の方との交流を兼ねたプログラムに参加するためである。AIRと言って、アーティストインレジデンスである。滞在場所は、BigCiと言う施設で、ユリさんとラエさんのご夫婦が運営をされている。ラエさんがアーティストとのすべてのやり取りを担当されて大変お世話になった。本人も彫刻家である。ユリさんは、写真真ん中の白髪の男性で、現地の地質学者である。この写真は、アーティストに森を案内していただいた時のもの。実際に、何も知らないで一人では行けないような場所を案内していただいた。 今回は、久しぶりの投稿のため、ここまで。オーストラリアでの活動、見て来たこと、制作も含めて大きな機会になったので、数回にわけてオーストラリア旅行記・日誌のような感じで報告する。 #
by plantart
| 2019-12-02 20:44
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